何の手がかりもない先祖探しの場合~完結編~

家系図 ルーツ

第49

=================================
1.家系図ニュース~北海道の先祖探し
=================================

こんにちは、行政書士の丸山学です。

今日の本題は「何の手がかりもない先祖探しの場合~完結編~」で、非常に手がかりが少ないなかで実際に行ってきた調査がようやく完了いたしましたので、その報告をさせていただきます。

おかげさまで無事に、戸籍以上のご先祖様のお名前も、お墓の場所も分かりました。そして、非常に興味深い言い伝えもあることが分かりました。詳細は下記をお読みいただければと思います。

さて、そうして無事に調査が終了してホッとしたのも束の間、またまた難しい調査が入りました。それは戸籍をたどった結果、最古の本籍地が北海道の某所というものです。北海道には明治時代に多くの人が移民しているのですが、最古の戸籍に本州のどこから転籍してきたかが書かれていると、その情報を基に戸籍以上の調査をやりやすいのですが、今回の案件では明治初期の戸籍が焼失しているとのことで、どこから来たのかが全く不明という状態です。

一般に北海道の先祖探しは困難を極める~と、昔から言われております。どうにかして、手がかりを掴みたいと思っています。


--------------------------------------------------
◆家系図作成サービス
調査範囲を戸籍取得だけに限るリーズナブルなコース
⇒ https://www.5senzo.net/60.html
 戸籍4系統+歴史探訪報告書コース
 戸籍2系統+歴史探訪報告書コース
 戸籍1系統+歴史探訪報告書コース

戸籍を超えて徹底的に文献調査・現地調査も行うコース
⇒ https://www.5senzo.net/62.html
 200年たどるコース
 400年たどるコース
 1000年たどるコース
--------------------------------------------------
◆書籍『家系図を作って先祖を1000年たどる技術』(丸山学 著)
※無料で「はじめに」部分を公開中
⇒ https://www.5senzo.net/book-kakeizu.html
--------------------------------------------------
当事務所では「人権」については充分な配慮をして家系調査を行なっています。人権侵害に当たるような調査、他人の身元調査は受け兼ねますのでご了承ください。


=================================
2.何の手がかりもない先祖探しの場合~完結編
=================================

さて、すっかり続き物のようになってしまいましたが、最古の戸籍には「○○郡○○村 吉田半兵衛弟藤吉二男 養子として入籍」という趣旨のことが書いてあるだけで地番も不明。血筋でたどっているので家紋も言い伝えも不明。(吉田は仮名です)

おまけに、その地域の同姓の家(複数)に手紙を出したものの全く返信なし。近隣のお寺(複数)に手紙を出したものの、返信は1軒だけで「当寺の檀家ではありません」というお返事だけ。

郷土史を読んだり、地元の公的機関などに問い合わせた結果、その地域の江戸時代の古文書は全く現存しておらず皆無とのこと。

これまでの経緯は下記をお読みいただくと分かりやすいかもしれません。
◆何の手がかりもない先祖探しの場合 ~何から始めるべき?~
⇒ https://www.5senzo.net/737.html

◆何の手がかりもない先祖探しの場合 ~実践編~
⇒ https://www.5senzo.net/747.html

…という状況から、地元の公的機関の学芸員の方に協力をいただき、数年前に地域の歴史をまとめた冊子が作られた。また、明治の初期に村誌が作られている。という情報をいただきました。

最近作られた冊子は地元の市役所に行けば見られるし、明治初期の村誌についても所蔵先から閲覧許可をいただきました。しかし、それだけでは戸籍以上のご先祖様が分かるかどうかは心もとないといえま
す。

そこで今回は、飛び込みで現地の同姓のお宅を全て訪問させていただこうと決めました。上記の「実践編」でも書きましたとおり、学芸員の方によれば、それら同姓の家の方々は私の手紙は真剣に読んでくださっているとのことです。もはや、直接うかがうしかないと考えました。それにあたり、今回から一人、そうした飛び込みでのコミュニケーションが得意な者をスタッフに加えまして二人で現地調査に向かいました。

私の方は冊子や村誌を閲覧。そのスタッフが同姓の家を直接訪問。早朝に東京駅を出発し、午前の早い時間に現地入り。二人とも丸一日かけてそれぞれの任務を遂行します。

私の方はまず市役所に行き、地域の歴史が書かれた冊子を全てコピー。それを読んでみますと、後から某所で閲覧予定の村誌を元にして色々なことが書かれているのですが、何とその中にあっさりと吉田家は江戸時代後期に庄屋を務めていたとのことで、庄屋を務めた人の苗字も名前も明記されていました。

その名前を見ると、戸籍で判明している最古のご先祖と同一ではないものの一文字が一緒。つまり「通字」というやつで、これだけでもこの庄屋を務めていた人物がどうやらご先祖に当たるということは分かります。

しかし、それだけでは確信は得られませんので、ここで現地を回っているスタッフに携帯で電話しまして「江戸時代はその村で吉田家は一軒だけだったかどうかが重要。それを出来るだけ確認してください」と、指示を出しました。

最古の戸籍で幕末はその村に住んでいたことは確実ですから、もし、吉田姓の家が江戸時代にその村に1軒しかなかったのであれば、その庄屋を務めた人がご先祖であると言えますので。

さて、そう指示を出して私の方は次の場所に移動し、明治初期に書かれた村誌の原本を閲覧しました。意外と分厚く、くずし字で書かれているところも多く読むのが大変でしたが完読しました。そこには、冊子に書いてあった庄屋の情報がさらに詳しく書いてあるのだろうと期待しましたが、何故かその記載は皆無。吉田家については全く出てきません。

冊子はこの村誌を元に書かれた筈なのに?と、不思議に思い学芸員の方に尋ねてみると、あっさりと「確かに、庄屋については全く書かれていませんよ。冊子の記載ですか?あれは村の各家に伝わる話から書いているんですよ」と、言われました。

あれ?という事は、やっぱり村の人々は詳しく知っているということになります。結論から言いますと、その通りでした。現地の方に直接尋ねた結果、すべてのことが分かりました。

手紙を返信しなかったのは、私が書いた戸籍で分かる最古の人物について史料が残っていなかったので返信しなかったというだけのことでした。こちらとしては、その村に吉田家が1軒しかなく、その家の代々のご先祖様のお名前が分かれば家系図が作れるので、そうした情報をいただければ良かったのですが、なかなかこちらの意図が上手く伝えられなかったのは私の手紙の書き方が未熟だったということです。今後はもう少し工夫しなければと反省しました。

さて、現地に飛び込みで行ったスタッフの方はどうであったかといえば、まず、吉田家を訪ねるために道行く人に場所案内をお願いしたところ「あ~、先祖探しをしている人ですね」と、言われたそうです。

その人は吉田家の方ではなかったのですが、私が手紙を出したことで村中の話題になっていたようです。そんな事情ですぐに吉田家を訪ねることが出来、しかも本家や明治以降に分家した家々に詳しくお話を聞くことが出来ました。

そこで、江戸時代中は吉田家はこの村に1軒だけなので、依頼人の人の先祖も本家の先祖と同一になることを教えてくださいました。こちらは飛び込み訪問で訪ねるという失礼な状態でありながら、家に上げてくださり本当に詳しく教えてくださいました。江戸時代中のその家のご先祖様名は代々同じ名前(冊子に書かれていた名前)とのことでした。

また、代々のお墓にも案内をしてくださいました。 これで、ご依頼人の方にもご先祖様が眠る場所をご案内できることになりますのでホッとしました。

そして、びっくりしたのがその家に伝わる由来です。実は先祖は戦国時代の非常に有名な武将であり、ある戦で負けてその子孫たちが落人としてその地に逃げ伸びたそうです。しかし、その武将の家であれば家紋は○○な筈ですが、お墓に彫られているのは違う紋です。

聞くと、その家紋を付けているのはまずいので、あえて違う紋を付けたとの事です。まあ、言われてみれば確かにそうですね。その紋では苗字を名乗らない江戸時代とはいえ、すぐにばれてしまいます。

こうして、今回は特に飛び込みを担当したスタッフの活躍により良い調査となりました。また、村の方の温かさが印象に残る調査でもありました。詳しくお話を聞かせてくださった本家の当主は八十歳を過ぎたご高齢です。いつまでもお元気で長生きしていただきたいと願うばかりです。それにしても、こうしたご先祖探しは早めに行うに越したことはありません。

家系調査、ご先祖探しというのは難しいもので、当初は「これなら簡単にご先祖を判明させられそう」と思った案件が意外と困難を極めたり、「これはちょっと難しいなあ」と思ったものが、今回のように由緒も含めて全て判明したりします。不思議なものです。まあ、私としてはどの案件も地道にコツコツやるしかありません。