江戸時代、庶民も名字を持っていた証拠を見つけた

家系図 ルーツ

第134号 (2016年8月6日) ※読者数8,781人

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1.家系図ニュース~ようやく老眼鏡を作りました~
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こんにちは、行政書士の丸山学です。
40代後半の私ですが、順調に老眼が進んでいるようで最近は本当に近くの文字を読むのが大変になってきました。

老眼鏡を作らねばと思いつつ、忙しくもあり放置していたのですが、ようやく眼鏡屋さんに行ってきました(今週末に出来上がり取りに行く予定です)。

これで細かい資料類を読むのも楽になる筈です。但し、実際にはパソコン操作をしながら随時手元の資料を読むという行為が多いので、その都度、普通の眼鏡を掛けたり老眼鏡を掛けたりと切り替える必要があります。それはそれで結構、面倒そうです。

かといって、遠近両用にすると手元の資料を読む際に、顔は少し上に向けながら目だけ下に向けるという不自然な形になります。
最高の解決策はありませんが、まあ歳を取れば少しずつ機能が衰えるのも仕方ないですね。


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2.江戸時代、庶民も名字を持っていた証拠を調査の中で見つけました
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山陰地方の400年コースの調査が終了したのですが、名字について面白い発見がありました。

江戸時代は武士だけが名字を持っていて、それ以外の庶民(農民など)は名字を持っていなかった。庶民は明治期になって戸籍を作成する際に適当に名字を届け出たのでその名字はルーツを表すものとは言えない~というように誤解をされているケースが結構あります。

しかし、現代では江戸時代中の農民が名字を記載している文書も多数発見されており、庶民は名字を持っていなかった訳ではなく公の場面で名乗ることが出来なかったというに過ぎません。

ですので、農民は検地帳のような公文書には名字は記載されませんでした。しかし、寺社の供養記録など私文書では農民が名字を記載している物が多数発見されています。

そして、今回の調査の中でもそれを裏付けるような出来事がありました。

調査を進めていくと、ご依頼人の家は江戸時代前期にある村(現在のご依頼人の本籍地から少し離れた場所。仮にA村と呼びます)のある家から分家して出来た家である事が分かりました。この時点では、その本家に当たるA村の家の名字というのは分かりませんでした。

ある文書中にご依頼人家の始祖について「A村○兵衛の弟 分家してB町に居住」程度の事が書かれていました。

これにより、ご依頼人家の本家はA村にあり当主は「○兵衛」という名であると判明はしました。しかし、そのA地区についてはご依頼人家は全く交流がなく、まして本家に当たる家の事などご存知ありませんでした。

そこで私の方でA地区に調査に入り、現地の方々に協力をいただいて、その本家について調べました。結論を申し上げれば、その本家にあたる「○兵衛」の家は昭和30年頃に最後の当主が亡くなり、家を継ぐ子もおらず絶えてしまっていました(娘さんはいましたが、嫁いで他所へ行ってしまったそうです)。
A地区は農村地帯であり、江戸期は全戸が農民でした。

とにもかくにも、江戸時代前期というはるか昔に分かれたご依頼人家の本家は見つかった訳です。居住していた土地(現在は畑になっていました)も分かり、私もそこに行ってきました。

さて、問題は「名字」です。

いくら本家とはいえ、そこから分家したのは今から300年以上前のことです。江戸時代で庶民が名字を名乗ることが許されない時代です。庶民も名字を持っていたとはいえ、果たして本当に同じ名字なのか?正直、私も半信半疑でしたが、これが見事に同じ名字だったのです。

300年以上前に枝分かれし、それぞれ別の土地で江戸時代から昭和まで存続し、交流は全く無くなっている家同士です。それが、こうして調査を進めてみると同じ名字で出てきたのです。

今回は、ご先祖様をきちんと辿れた(戦国期の祖先まで判明)という満足感の他に「やっぱり江戸期の庶民も自家の名字をきちんと認識していたのだ」という事を自分の調査の中で確認できた事が嬉しかったです。

分家した後も、公には名字を名乗る機会がないにも関わらずその名字は代々伝えられて明治期の戸籍作成時に、本家も分家も離れた場所で同じ名字を役所に届け出たのです。
 ※尤も、庶民も名字を持っていたとはいえ、明治初期に戸籍を作成する際に全く 関係のない名字を届け出た事例も稀にですが見られます。しかし、大半は古来 の由緒ある名字を届け出て現代に至っているというのが実状のようです。