分限帳も一筋縄ではいかない ~末期養子とは?~

家系図 ルーツ

第56

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1.家系図ニュース~新年もご先祖探しの旅です
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こんにちは、行政書士の丸山学です。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、年末年始は親兄弟・親戚と顔を合わせる機会が多かったと思います。
私のところに家系図作成・ご先祖調査を依頼される方からよくお聞きする言葉が、「家系図の作成をお願いしてから親と話す機会が増えました。知らなかったご先祖の話をたくさん聞くことが出来るようになったことも良かったですが、親の知らなかった人生も聞くことが出来て非常に良かったです」というものです。

実は自分の親のことって、よく知っているようで知らない部分も多いのが実情です。私の父親も数年前に亡くなりしたが、今になってみると、もっと父親の人生の事を知っておきたかったなと思います。

家系図作成・ご先祖調査を始めたら、せっかくの機会ですので自分の父母の生い立ちから聞いてみると良いと思います。そういう機会でもなければ改まって親の人生を聞くのも気恥ずかしいですしね。

さて、私の方は新年早々からご先祖探しの出張予定をどんどん入れています。一月中で現在決まっているのは「山口県(宿泊)」「和歌山県(宿泊)」「栃木県(日帰り)」です。この三つは、図書館・文書館・博物館といった公的機関での古文書・絵地図類の閲覧です。公的機関でのこうした調査は、まあ所定の作業を淡々と進めるだけです。

二月以降は、お寺や個人宅、お墓探しなどの現地でのコミュニケーション力や、その場その場での臨機応変な行動が求められるものが多く入ってきます。大変ではありますが、それはそれでスリリングで楽しくもあります。


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当事務所では「人権」については充分な配慮をして家系調査を行なっています。人権侵害に当たるような調査、他人の身元調査は受け兼ねますのでご了承ください。


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2.分限帳も一筋縄ではいかない~末期養子とは?
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武士だった家のご先祖探しに欠かせないのが、各藩が作成していた「分限帳」です。今までも何度も話題にしてきましたが、藩士の職員録のようなものであり給与明細帳でもあります。

ご先祖が藩士であれば、分限帳にその名前を見つけられる可能性が高い訳です。但し、下級武士の記載がない分限帳もありますので、分限帳を手にした場合には藩士の人数や記載されている藩士の給与などから上級武士だけの記載ではないかどうかを確認しましょう(公的機関に所蔵されているものであれば、そこの学芸員に「これは下級の藩士も全て網羅されていますか?」と、尋ねてみるとよいでしょう)。

余談ですが、先日今年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の1回目の放送がありましたが、その中で土佐藩の上士、下士の厳しい身分差別が描かれていましたね。一口に武士といっても、その生活は天と地ほどに違います。

分限帳でご先祖様のそうした立場のようなものも感じられるようになると尚、味わいが出てくると思います。

その『龍馬伝』を見た影響で、私は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み始めています。その中に武士の家のご先祖探しに関るような話が出ていました。 第一巻に長州藩士・桂小五郎が坂本竜馬と出会ったあたりのエピソードの中で武士の特殊な相続事情に触れた件があります。

武家の家で跡継ぎがいない場合は養子を取るのが当たり前ですが、前述の桂家では病身の当主が隣家の次男を養子に欲しいといっている矢先に死亡してしまいます。通常ですと跡目なしということで、お家とりつぶしになるところですが、それではあまりに具合が悪いので周りの人たちが当主は死亡したにもかかわらず表向きは病臥中としておき、その間に養子手続きをしてしまう。手続きが終わったらその翌日に死亡を届け出ます。

まあ、このやり方は不正ではありますが家の存続が重要な江戸時代では当然のように行われたやり方ともいえます。藩の方も見て見ぬふりです。

但し、同書にも書かれているとおり、これは『末期養子』と呼ばれるやり方で、末期養子の場合は減知(減給)となります。同書の桂家の場合は二百石から九十石に減らされたとあります。

もし、各年代の分限帳を見ていて当主が亡くなった後に大きな減知があった場合はこのような事情も考えられるということです。

ちなみに、長州藩(萩藩)の分限帳は現存状態がよく各年代のものが多く山口県文書館に所蔵されています。上級武士は「分限帳」、下級武士は「無給帳」という名前で残っていたと記憶しています。

あと、最近見た中で分限帳の保存状態が良かった藩は鳥取藩ですね。ご先祖様が武士だったという家は、是非、単に分限帳で名前を探すだけでなく給碌、死亡年月日、養子などの記載も見ていきたいものです(分限帳により記載されている項目は異なりますが)。