既に散逸してしまった古文書でも見られる事がある

家系図 ルーツ

第132号 (2016年2月13日) ※読者数8,985人

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1.家系図ニュース ~老眼さらに進行中~
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こんにちは、行政書士の丸山学です。

私も48歳になりまして、ここ数年は老眼に悩まされております。早く老眼鏡を作ればよいのですが、忙しくもあり結局、小さい文字を読む時には近眼用の眼鏡を外して顔を近づけて読んでいます。

特に辛いのが古文書の判読。なかでも、書籍などに掲載された縮小された古文書を読むときが辛いです。

毎日、寝る前に30分ほど古文書の勉強をするのが昔からの習慣です。この時は実際の古文書ではなく、くずし字で書かれた古文書が掲載された書籍を読みます。

くずし字は、筆をどの順序で運んでいるかを見ていかないといけません。単に文字の形だけでは判別できないのが、くずし字の難しいところです。しかし、書籍に掲載するために縮小されていますので、小さく書かれている文字では、どのように筆が運ばれているのかなど老眼ではもう顔を紙にくっつけてもよく分かりません!

近眼の方も進んでいますし、遠近両用にした方がよいのか別々に用意した方がよいのか?自分が年を取ってみないと、こうした事は実感できないですね。


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2.既に散逸してしまった古文書でも見られる事がある
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江戸時代中まで自家のご先祖様を遡って名前を明らかにしたり、その暮らしぶりを知るために必要となってくるのが「村の古文書」です。

江戸時代の村というのは現在の「大字」に相当する地域です。

一つの村は60戸程度の家で構成されているのが一般的です。 村には「庄屋」「名主」と呼ばれる村内で最上層に位置づけられた家があり、その庄屋・名主は村内の様々な文書を作成・保管する義務を負っていました。

そうした村の古文書には検地帳や宗門人別帳(江戸時代の戸籍に該当するような文書)など、自家のご先祖様を知るために重要となる物があります。

ですので、戸籍の範囲を超えて先祖探しを行う場合には、この村の古文書を閲覧できるかどうかが大きなポイントになるのです。

…ですが、何しろ江戸時代の物ですから現在では散逸してしまって無くなっているという事も多々あります。所蔵しているとすれば、江戸期に庄屋・名主を務めた旧家になります。

かつて所蔵されていたものが明治期の動乱や、その後の戦争等で散逸・焼失してしまう事が多いのは頷けます。また、30年ほど前まではその一部が郷土史に掲載されているなど、つい最近までは存在していたものが平成の現在では既に無くなっているという事も多くなってきました。

現在、手がけている東北地方の「400年たどるコース」ではご依頼人家の総本家に当たる家に村の古文書が所蔵されていた事実は郷土史で確認できました。
調査にあたり、そちらの総本家の現ご当主にも非常に協力をしていただいているのですが、お聞きするとやはり数十年前まであった筈の古文書が家の建て替え等もあり現在では散逸してしまい全く残っていないとの事です。

郷土史に掲載されていたのは所蔵文書のうちのごく一部ですから、何とかその他の分を見たい訳ですが、無いものは無いので仕方ありません。但し、ダメ元でまずネットでその地域の古文書を検索しましたところ、ある古書店が十年ほど前にその村の文書を販売している事が分かりました。

早速その古書店に問い合わせてみましたが、その村の古文書で扱ったものはネット上に記録が残っているその一点(村の五人組の掟を書き記したもの)だけであり、現在となってはどこから仕入れたものかも不明との事であり、どうにも手だてが無くなりました。

その販売されていた一点の文書にしても、目的としている家が所蔵していたものかどうかは不明であり、結局その家の古文書は本当に散逸してしまい、今この世にはもはや存在していないのではないかと考えられました。

そこで、今度は、「確かに原本はほぼこの世から消失しているようだ」「でも、もしかしたら写しがどこかに存在しているかもしれない」という視点で探していく事にしました。

これまでも、原本は存在しないが郷土史家が手書きで写したノートが存在したという事もありましたし、行政機関が郷土史を編纂する際にマイクロフィルム化してそのマイクロフィルムが残っていたという事もありました。

…そして、虱潰しに探していきましたら…運よくありました!

やはり、かつて町が郷土史を編纂する際にその家の古文書群をマイクロフィルムに収めていた事が分かりました。その町も合併のうえ現在では「市」になっていますが、その市の某施設にそのマイクロフィルムが残っている事が分かったのです。

現在では行政機関もネット上で所蔵している古文書の目録を公開しているケースが多いのですが、この分はネット上にも情報がアップされていませんでした。ですので、「現存していなくてもフィルムが残っているかもしれない」という目的意識を持って各所に問い合わせなければ見つかりませんでした。

いや、それにしても良かったです。来月、そのマイクロフィルムを見に現地に行ってまいります。

このように、現在ではこの世に(原本が)存在していない村の古文書であっても、マイクロフィルムに収められて数十年間もどこかで眠り続けているかもしれません。

そこには、貴重な「ご先祖様を知る記録」が刻まれています。戸籍を超えたご先祖探しをする場合には、是非そのような視点も持っていただければと思います。